【Jam&Lewisから始まったミネアポリス音楽への愛】
10月からPrinceについての音楽と人生を猛勉強しようとやってきましたが、一生かけても終わる気がしていません。
はじめに、なぜPrinceを猛勉強しようと思ったのかというと、まず私は元々Princeと縁の深いJam&Lewisがあまりに大大大好きで、彼らの制作、プロデュースした楽曲はほぼ全て聴いていると言っても過言ではない程です。
Princeに関しては、80’sのロック、ポップ、そしてブラックミュージックシーンにあまりに絶大な影響をもたらしているだけに避けて通れる人物ではなく、主要作品について聴いてきてはおりますが、そもそもそのブラックミュージックファンに受け入れ難さのある独特な音楽性については、私も例外ではなく解釈が難しいと、これまでしっかりと向き合って来なかった点は否めませんでした。
ただPrinceが他のアーティストに提供、プロデュースをした楽曲については割と聴きやすいものも多く、好んで聴くことは多々ありました。
そういう意味でも、Jam&Lewisも得意とするPrinceの確立した「ミネアポリス・ファンク」について学ぶことは自分自身の音楽嗜好について必ず大きな発見がある筈だと、腰を据えて勉強をすることを始めたわけです。
さて、これまでなぜ私がPrinceの音楽を敬遠していたかと言うと、これはあくまで私がブラックミュージックファンであることを前提として、若い頃初めて聴いたアルバムが『Purple Rain』、楽曲的には『1999』だったからです。
当時の私はこれらの楽曲を「完璧白いRock」と見なしてしか聴くことができませんでした。
当然ですがこれらの楽曲を初めて耳にして特に黒々しいと思うまでの要素が感じとれるわけではありません。
私自身、若い頃は自分の好きな音楽をガチガチに凝り固めていた面があり、それは
「黒々しくも都会的で洗練されたfunk sound」
と言うものがありました。
その最たるがJam&Lewisだったわけで、それに準ずる音楽もまた多かったのではありますが、逆に言えばこれに当てはまらない音楽は全て良くはなかったわけです。
しかしこれも完全なる若さ故の頑な過ぎる概念から来ていたもので、年齢を重ねて音楽の聴き方に柔軟性を持てるようになってからというもの、良いと感じる音にも幅が広がりました。
やはりアーティスト、ミュージシャンの持つ独自の感性、世界観、そして何よりも「魂」なのだと思います。
音楽を表現するにあたり全てはここに尽きると。そしてリスナーにとっても。
そこに重点を置くようになってからはジャンルに隔たりを置くことなく、良い音楽には全て感動することが出来ることを知りました。
そして、そこでこそのPrinceなわけです。
初めは単にJam&LewisのルーツとしてのPrinceでしたが、そのジャンルの垣根を越えた音楽性や、性と愛、世界、人間、スピリチュアリティにおいて渾身を込めて伝えられるメッセージ、パフォーマーとしての圧倒的なカリスマ性、ミュージシャンとして神格化された人物像に、感動すら覚えました。
ミネアポリス・ファンクの真髄を知るとともに
「私はやはりミネアポリス・ファンクが好きなんだなぁ」と改めて再確認、実感することができました。
あくまで手の届かない存在として、とはなってしまいますが、私が思い描いていた理想像としては素晴らし過ぎて、今後これ以上の方は出て来ないと断言できると言える程です。
そして毎年と言って良い程に発表し続けていた音源と、80’s~90’s前半にかけて音楽とともに同じ位の重要な要素を占める映画作品、資料や映像、そして周辺人物…
その膨大な数に、これらを自分なりに解釈することは大変やり甲斐のある、一生掛けてのライフワークとなり得る作業だと思っております。
私の音楽人生の中で最も重要な要素を占めるJam&Lewis他周辺人物も含め、ミネアポリスという都市への憧れは募る一方です。
移住してあの「ミネアポリス・サウンド」と呼ばれる煌びやかなシンセ・ファンクの産まれた環境にて生活し、毎日参拝することが出来るのならば、それは私の人生の本望と言えるのではないか。
実現すれば最高ですけどね!
出典:
https://www.esquire.com